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において、夏目漱石の『三四郎』を読んでいる。
『三四郎』では冒頭、九州から上京する三四郎が汽車に乗っているシーンが続く。
その汽車が一体どんなものだったのか、例えば、座席は対面4人がけシートなのか、横長シートなのか、はたまた個室になっているのか、非常に気になった。
この当時の汽車について詳しく知りたい、と思っていたら、それらしきタイトルの本が目に入った。
『三四郎の乗った汽車』
しかし著者あとがきによると
「この本は、夏目漱石の研究所でもなければ、鉄道マニアに向けて書かれたものでもない」
「しいて言うなら、この本は、三四郎が九州から乗り込んだ汽車(鉄道)が日本に導入された明治初期を焦点とし、汽車に代表されるテクノロジーがどのような意味を持つのかについて書き記したものである、とでも言い訳するしかない」
ということである。
実際、5章あるうち、『三四郎』に直接関係するのは
第三章 三四郎の乗った汽車
第四章 「学校」の「時間」
くらいであろう。
しかし、他の章も、西洋文明導入期の日本の状況について色々と記されていて内容としては面白い。
「また、本書はほぼ書き下ろしの形で執筆したが、最初のきっかけは『東京人』第七八号に発表した「三四郎の乗った汽車」という二十枚ほどのエッセイである。こむずかしいタイトルしか思いつかず困っている私に、「三四郎の乗った汽車」ではどうかと進言してくれたのは、当時の編集担当の花崎真也さんであった。」
このタイトルがあったからこそ、二十枚ほどのエッセイから出発して書き下ろしの単行本が一冊できたということである。そう考えると、タイトルというのは非常に重要なものである。
さて、
第三章 三四郎の乗った汽車
を読んでも、三四郎が乗っていた頃の汽車の形態などはあまりよく分からなかった。本書の目的は汽車をはじめとする西洋文明の受容史について、多くの文献を参照しながら見て行くことを主眼とするのであるからして仕方ないことであろう。
しかし、幾つか面白い指摘があった。
「夏目漱石は、自己の主要な作品の大半に汽車や電車を描き続けた」
という指摘。それは、単純なる汽車賛成論でも反対論でもなく、意識的なものだという。
また、汽車が普及するにつれ、汽車による自殺も増えていったということ。
『三四郎』でも、若い女性の鉄道自殺についての記述がある。
「青春小説ともされる「三四郎」の中で、この逸話は鮮烈な印象を与える。同時に、なぜ漱石は轢死を書き込んだのかという強い疑問をも抱かせる。本来ならば、この逸話が、単なる逸話ではなく、作品に不可欠な逸脱であることを語らなければならないのだが、ここでは割愛する。」
「作品に不可欠な逸脱」と書かれているが、著者はそのことについて語らず、割愛する。
私としては、そこを読みたかった。タイトルにまでなっているのだから、ここで『三四郎』の作品論にまで踏み込んでほしかった。本のテーマとは外れるから、と言われれば返す言葉もないが。
しかし、なぜ「作品に不可欠な逸脱」なのだろうか。今の時点の私では、見当もつかない。今後メルマガを書き進むにつれて分かっていくことができるのだろうか。とにかくこの件については考えておかねばならない。
また、汽車や自動車が出始めの頃、乗った人は窓の外の景色を見ることができず、縞模様にしか見えなかった、という指摘が面白い。
「高速で走る物体から風景を眺めるためには、眼のレッスンを必要とする。実は簡単なことなのだ。近くの風景を凝視するのではなく、焦点を少し遠方に合わせればよい。」
「それは、まったく新しいまなざしの様式だったのである」
動体視力が問題なのだろうか。
文明の発展によって人類は新しい能力を開発してきた、ということの例であろう。もちろん、一方では失った能力もあるだろうが。
また、芥川龍之介の『蜜柑』では、窓の外の人物などが正確に描写されていることについても指摘されている。
「注目すべきであるのは、その一瞬を<私>の眼が、ほとんど精密なカメラのようにとらえていることである。」
「文字通りテクノロジーによる視覚の様式の変容の産物ではないかと思えてしまう」
「驚異的な眼を持った新しい人間だと言えるかもしれない」
なるほど、こういう観点から文学作品を考えることができるのか。
「汽車を舞台とした小説の多くは、偶然誰かと乗り合わせるという設定を取る」
いよいよ『三四郎』に近づいてきた。
「これが初めての上京の旅だというのに、三四郎は過ぎゆく車窓の風景をぼんやり眺めるようなことはしない。三四郎は、漱石によって風景を見ることを禁じられているのだ。」
なるほど、これは意外な指摘である。確かに、文学作品ならば、電車に乗っていれば、外の景色の描写があってもいいはずである。
「三四郎の乗った汽車、それは風景を楽しむ装置ではなく、乗客という他人に満ちた閉鎖空間なのである。」
最後に著者は、「三四郎」の冒頭部から得られる鉄道のもう一つの重要な意味を指摘している。
九州から東京までわずか二日で結ばれたというのは当時としては画期的な事件であり、これにより、誰もが「分類の思想」を持つことができるようになった、ということである。
つまり、それまでは特権的な人でしか得られなかった体験や知識を得ることにより、色々と考えることができるようになった、ということである。
しかし考えてみれば、人類の文明・文化史は、その連続ではなかろうか。
メディアの発達などは特にそう言えそうである。
新聞しかりラジオしかりテレビしかり。そしてインターネットである。
地位も肩書きもない職業&人生負け組の私も、インターネットという手段を使って自分の拙い文章を公開することができる。
せいぜい活用して頑張っていこう!という結論に落ち着いた。
※第四章 「学校」の「時間」
についても書きました。
常に何かから遅れている。あるいは、もはや手遅れになってしまって
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f(^_^)♪
私はかくの如く読みました。
皆様はどう思われますか。
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