http://www.servicemall.jp/sokudoku/BN/l/0041001.html
についての感想の4回目です。
(あらすじ)
東京帝国大学に入学が決まった三四郎は郷里の九州から汽車に乗って東京
に向かう。途中、京都から乗ってきた女性や田舎者のお爺さんと相席になる。
やがてお爺さんは下車し、女性と二人きりになるが話がかみ合わない。
(今回の感想)
お爺さんが下り、ついに女性と二人きりになってしまった三四郎。
これはなかなか気まずい雰囲気だ。
こんな場合、喜んで気軽に話せる人というのも確かにいるでしょう。しかし私はあまりうまく対応できません。三四郎もそのようなタイプのようです。
そもそも三四郎はこの女性が気になって、
「五分に一度ぐらいは目を上げて女の方を見ていた」
というくらいです。だから先に下りたお爺さんのように、気楽に話す関係になりたいのではないでしょうか。
折角、邪魔者(?)のお爺さんがいなくなってお近づきになれるチャンスだ……という時なのに、その機会を生かすことができません。いや、そもそも、お爺さんと女の人が会話している時に参加しておくべきだったのかもしれません。
こんな場合でも当惑しないでうまく対応できるように、日頃から意識改革が必要なんでしょうか。
「三四郎は思い出したように前の停車場(ステーション)で買った弁当を食いだした。」
最近は列車も高速化して窓が開かなくなったため、駅弁というのも廃れているようです。そもそも東京大阪間も新幹線で何時間という時代、電車の中で駅弁を食べなくても我慢できる時代です。そういえば食堂車というのも少なくなっているようです。
しかし、新幹線などなかった明治時代、熊本から東京までの汽車の旅は何日にも渡る長旅でした。当然腹もすくでしょう。いつ・何を食べるかというのも重要な問題です。
駅弁 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%85%E5%BC%81
食堂車 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E5%A0%82%E8%BB%8A
しかし、女性と二人きりになって、一人だけ弁当を食べているというのもなかなか苦しいシチュエーションです。
「会食不能症」「会食恐怖症」という心理状態があるようです。
(実は私もそのようなところがあります。)
物を食べているところを人に見られるのはなかなか恥ずかしいものです。
食べながら会話するというのはもっと難易度が上がります。
人と食事を共にするというのは、親密さを現す行為でもあります。
私ならば、たとえ駅弁を買ったとしても、相席の人がいる前で、一人だけ食べることに躊躇してしまいます。
「いつ食べようか。このまま食べないでおこうか」
とずっと逡巡するでしょう。
また、相席の人が自分の前で弁当を食べだしたとすれば、当惑するかもしれません。
もっとも、会食不能なんて、食べるのに不自由しなくなった現代でこそのぜいたくな悩みなのかもしれません。
ハングリー精神にあふれていた時代、ガツガツと本能のままに食べていたのかもしれませんが。
女性の立場から考えてみると、お腹はすいたし何か食べたいし。でも若い男の人の前で食べてはしたないと思われてもいけないし……と思っているのかもしれません。
だから三四郎としては、弁当とまではいかずとも、軽食なりお菓子なり二人分買ってきて、
「腹が減ったな。一緒にどうですか?」
……というような展開に持っていければいいのかもしれませんが。
現実にはなかなかそんな風にはうまくいかないものです。
日頃から意識改革が必要なんでしょうか。
ともかく、せっかく気になる女の人と二人きりになったというのに話もせず一人で駅弁を食べているというシチュエーションが、今後の三四郎の前途多難なことを象徴しているように思えてきます。
f(^_^)♪
私はかくの如く読みました。
皆様はどう思われますか。
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