夏目漱石「三四郎」あらすじ 23−27
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「一人になって落付くと、野々宮君の妹の事が急に心配になって来た。危篤なような気がする。」
↑少々過敏になっている。あまり正常とは思えない調子。汽車の中で魔性の女に会ってから調子が狂いっぱなしではないか。真面目な若者にとって時に異性は危険な存在になる。
「ああああ、もう少しの間(あいだ)だ」
↑疑問に思うのですが、家の外のつぶやきが聞こえるものでしょうか。現場までかなり走っているようだし。過敏となっている三四郎の神経がなした超常現象的効果なのでしょうか。
「つまり危ない危ないといい得るほどに、自分は危なくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。」
「正(まさ)にこの種の人物である。――批評家である。」
↑報道や他人様の作品についてとやかく言うのは簡単です。偉そうになった気になります。
では、自分はそのような報道ができるのか、作品を創作できるのか。
皆が皆“批評家”になってしまえば、それはそれで大変です。
↑ネット上などでは、確かに安全地帯からニュースや他人様の作品について批評をすることは可能です。
ただ、現実の生活においては、誰もが“当事者”なのであり、安全地帯にいることは、余程のことがない限りあり得ないのです。
「自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強の妨害をされるのをかえって嬉しく思うだろう。」
↑色々な見方・考え方があり、立場や状況によっても違うので一概には言えないでしょう。
人間の社会生活は複雑です。
「もとの先生の広田(ひろた)という人が妹の見舞に来てくれて」
↑兄の先生が見舞いに来るとはおおごとです。余程重症なのかと思うとそうではないようです。
一体何で入院していたのでしょうか。
「御這入(おはい)りなさい」
↑兄の宗八さんの「こっちへ」と似ている。やはり兄妹だなあ。
「蒼白いうちに、なつかしい暖味(あたたかみ)が出来た。」
↑この前後の記述から、よし子さんは血の通った温かみのあるキャラ設定だと思えます。
■三四郎の風景 汽車の中で…これってあり?
↑紙面では赤松麟作「夜汽車」が掲載されています。
http://kobe.areablog.jp/blog/1000000309/p10022251c.html
http://www.geidai.net/postcard/197.php
当時の三等客室はかなりちゃっちいものだったのですね。
映像化する際は、この客室も忠実に再現してほしいものです。
しかしこれで、私が疑問に感じた汽車の窓問題が全て説明がつくのでしょうか?
「女の窓と三四郎の窓は一軒置(おき)の隣であった。」
http://sanshirou.seesaa.net/article/406356932.html
「ぱっと明るく、表の緑が映る上(あが)り口(ぐち)に、池の女が立っている。」
↑朝早いうちから友人の見舞い。かなり親密な間柄のよう。
「二人は一筋道(ひとすじみち)の廊下のどこかで擦(す)れ違わねばならぬ運命を以て互いに近付いて来た。」
↑こんな場合、どんな行動をとると良いのでしょうか?
ありゃま商会 の回覧板 『三四郎』読書会
http://yorodzu.seesaa.net/category/23605653-1.html
朝日新聞「三四郎」特設ページ http://www.asahi.com/special/soseki/
朝日新聞「こころ」特設ページ http://www.asahi.com/special/soseki/kokoro/
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