夏目漱石「三四郎」あらすじ 4―8 http://t.asahi.com/g3ik
「そこへ下女が床(とこ)を延べに来る。広い蒲団を一枚しか持って来ないから」
↑いわゆるダブルベッドサイズ?日本の布団にもダブルサイズというのはあったのでしょうか?
「がらんがらんという音がした。小供に見舞(みやげ)の玩具(おもちゃ)が鳴ったに違ない。」
↑齋藤孝先生なら、それを会話の糸口にしろ、と言うでしょう。折角のチャンスをスルーしてしまった。
■[自己啓発]「雑談力検定」公式本!?雑談力が上がる話し方
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20131014/p1
「「あなたはよっぽど度胸のない方(かた)ですね」といって、にやりと笑った。」
↑姦通罪もある当時、かなりきわどいセリフでは?当時、批判の声が上がらなかったのだろうか。
「あなたはよっぽど度胸のない方(かた)ですね」
↑「草食系男子が日本を滅ぼす」論者であり肉食系女子である姫野友美先生なら、
「肉を食べなさい!」と言うかもしれません。
■[健康]無批判な肉食系肯定・草食系否定に−1点
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20141004/p1
「あなたはよっぽど度胸のない方(かた)ですね」
↑夫も子どももいるので、当時としてはもう“おばちゃん”でしょう。
法に触れるかもしれないし、度胸があるのはこの女の方です。
しかし、ここは小説的な脚色があるのでしょう。
普通の女性なら
「あなたはよっぽどつまらない人ですね」
と言うのではないでしょうか。
「度胸のない」だけならまだマシです。
「つまらない方」と言われたらショックでしょう。
女と三四郎の間には、そもそもほとんど会話が成立していない。
長い間汽車で一緒になって一晩同宿したにかかわらず。
女にとっては、話し相手にすらならなかったのです。
同宿したのが三四郎でなく、汽車に乗っていた爺さんだったとしたらどうでしょう。
爺さんは体こそ衰えていますが、立派に女の話し相手になっていたことでしょう。
■[日々の冒険]喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20130610/p1
物語はその後、三四郎の片思いが主要なテーマになります。
だから漱石は女に「度胸のない方」と言わせたのでしょう。
しかし、その後の三四郎の交友関係・人間的成長の面から見ていくと、「つまらない方」と読み替えることもできるのです。
かなり三四郎に対して辛辣な指摘でしたが、実は私は三四郎に自分自身を投影しています。
私も実りある会話が苦手だし、会話がつまらないと言われたことあります。
私が私自身を「つまらない奴」と自己否定しているわけです。
「三四郎」を読むと、三四郎の中に自分自身を見て、どうにもいたたまれなくなって赤面してしまうのです。
「ただ筋向(すじむこ)うに坐った男が、自分の席に帰る三四郎をちょっと見た。」
↑汽車の座席にこだわります。
この記述では、4人掛けクロスシートで向かい合っているには近すぎるように思えます。
筋向こうのクロスシートの向かい合う位置にいる、ということなのでしょうか。
「三四郎はこの男に見られた時、何となく極りが悪かった。」
↑何かが始まる予感!?三四郎の直観力。広田先生の存在感。
「読んでも解らないベーコンの論文集が出た。」
↑当時の大学新入生はこんな本持ってたのか。現代人は恥ずかしくないのか……。
と、私もそんな偉そうなこと言えないのだった。
「どうも、ああ狼狽(ろうばい)しちゃ駄目だ。」
「もう少しは仕様があったろう。」
↑私もこんな風に後から後悔することがよくあります。
「三四郎は急に気を易(か)えて、別の世界の事を思出(おもいだ)した。――」
↑落ち込んだ時は別のことを考える。これは鉄則。
しかし、逃避して根本解決できないという副作用も。時には直視して徹底的に考えることも必要。
「すると筋向うにいたさっきの男がまた三四郎の方を見ていた。」
↑広田先生はなぜ三四郎を見ていたのでしょうか。偶然?
それとも、三四郎に何か人をひきつける雰囲気があるのでしょうか?
「大きな未来を控えている自分から見ると、何だか下(くだ)らなく感ぜられる。」
「これより先もう発展しそうにもない。」
↑ユーモア(笑い)を誘う表現ですが、真面目に受け取ると失礼な表現。
こんなこと思ってると足元をすくわれます。
「男はもう四十だろう。」
↑私が作中から受け取ったイメージでは、50くらいかと思ってました。
果たして正確な年齢は後出するのでしょうか?
「それよりは前にいる人の新聞を借りたくなった。」
↑汽車の座席にこだわります。第4回では、「筋向う」となっています。
4人がけクロスシートの斜め前かとも思ったのですが、今回、「前」となっています。
この記述では、ロングシートの斜め向こうを思わせるのですが。
皆さんはどう思われますか?
夏目漱石『三四郎』汽車内での位置関係
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1455979534
「「いえ、熊本です。……しかし……」といったなり黙ってしまった。」
↑私もこんな風に話せなくなることが良くあります。
改めなければと思います。
「「東京」とゆっくりいったぎりである。」
↑広田先生は東京在住のはずです。朝から名古屋から帰京。
一体何の用で東京を離れていたのでしょうか。
「汽車が豊橋へ着いた時、寐ていた男がむっくり起(おき)て眼を擦(こす)りながら下りて行った。」
↑いい味の脇役。映像化の際、誰がどのように演ずるか、重要なポイントでしょう。
「二人が水蜜桃を食べているうちに大分(だいぶ)親密になって色々な話を始めた。」
↑水蜜桃は皮をむいて切り実で売っていた?皮はナイフで剥いた?
電車の中で桃をむいて食べるなんて、想像の域を超えています。
どうやって食べるのか、目の前で実演して頂きたいものです。
座談の名手・広田先生かく語りき。軽妙洒脱とはこのような。
夏目漱石が正岡子規の友人だったとは知っていますが、広田先生も子規の知り合いかのような口ぶり。
一体二人の間にどんな関係が!?
ちなみに、正岡子規(1867〜1902)。
『三四郎』が朝日新聞に連載されていたのは
1908年(明治41年)9月1日から12月29日。
子規没後のことで、もう既に子規は歴史上の人物の扱いだったのでしょう。
だから田舎出身の大学生・三四郎も子規の名前を知っているという設定。
「散々(さんざん)食い散らした水蜜桃の核子(たね)やら皮やらを、一纏(ひとまと)めに新聞に包(くる)んで、窓の外へ抛(な)げ出した。」
↑手や口の周りも汚れているはずですが、どうしたのでしょうか?
三四郎は広田先生の態度に不満のようですが、広田先生は見も知らぬ若者に水蜜桃を御馳走し、含蓄ある話を聞かせてくれています。広田先生はなぜ三四郎に親切にしてくれたのでしょうか?
「すると、かの男は、すましたもので、
「亡(ほろ)びるね」といった。」
↑なかなか強烈な台詞。当時、物議を醸さなかったのでしょうか。
むしろ、2014年現在の日本で問題にするヘイトな連中がいそう。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」
↑普通なら「世界は広い」と続けると思うのですが、「頭の中」ときたか。
なかなか哲学的です。広田先生に座布団3枚!
「三四郎は東京へ着きさえすれば、この位の男は到る処にいるものと信じて、別に姓名を尋ねようともしなかった。」
↑いい機会だったのに。三四郎の師を求める・学ぶ・人とつながる意欲に欠けることを示す。
実は私にもそんなところがあるので、自戒を込めて指摘しておきます。
国会傍聴記by下町の太陽・宮崎信行
安倍総裁、年上の有権者にJRの席を譲らず「謝っているじゃないか」と逆ギレのうえ、たぬき寝入り 静岡
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