三四郎が列車内で職工の妻と二人きりになる前、この女性とおじいさんが会話する場面があります。
その会話が気になったので、その点についてメモしておきます。
http://www.servicemall.jp/sokudoku/BN/s/0190004.html
http://www.servicemall.jp/sokudoku/BN/s/0190005.html
女性がおじいさんに話すには、女性の夫は日露戦争終了後に帰ってきたが、再び出稼ぎに出て行ったきり帰ってこない、と。
おじいさんは、「旅順」という地名に反応し、急に同情を催します。
「自分の子も戦争中兵隊にとられて、とうとうあっちで死んでしまった。
いったい戦争はなんのためにするものだかわからない。
あとで景気でもよくなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。
こんなばかげたものはない。
世のいい時分に出かせぎなどというものはなかった。
みんな戦争のおかげだ。」
これは痛烈な戦争批判です。
大東亜戦争中なら電車の中でこんなことを言うと、特高に逮捕されたかもしれません。
(『二十四の瞳』では、大石先生が戦争を批判するようなことを言ったのを通報されて、校長先生から注意される場面がありましたね。)
『三四郎』が朝日新聞に連載されていたのは
1908年(明治41年)9月1日から12月29日
日露戦争は
1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)
ということは、『三四郎』は、日露戦争終結3年目に連載されていたのです。
この当時は新聞の連載小説で戦争を批判するような会話を描くことが可能だったようです。
当時、新聞はどれくらい普及していたのでしょう?
もし2013年の今現在、新聞連載小説でこのようなことを書けば、たちまちネトウヨだとか産経新聞やらWiLLなどの極右マスゴミやらが
「朝日がまた不敬なことを書いた」
とか大騒ぎでバッシングするかもしれません。
このような不吉な心配をしなくてはいけない時代になってしまったというのは、憂慮すべきことです。
そして今度の参院選で改憲(壊憲)勢力が勝って憲法が改悪されて言論の自由がなくなると、いよいよおしまいです。
私も逮捕されるかもしれません。
そんなことになる前に、できるだけ『三四郎』を読み進めておきたいと思います。
こんなペースで果たして読み通せるのでしょうか?
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