2008年03月27日

常に何かから遅れている。あるいは、もはや手遅れになってしまって

 武田信明『三四郎の乗った汽車』(教育出版)について。
  



 この本は、『三四郎』の作品論について書いたものではなく、日本の明治維新後の文明開化期について書いたものです。
  
第三章 三四郎の乗った汽車
については、作品論に関する記述があって興味深いので、以下のページで覚え書きしておきました。
  http://sanshirou.seesaa.net/article/90598052.html
  
第四章 「学校」の「時間」
 についても、冒頭で、『三四郎』を読む上で非常に重要かと思われる指摘がされているので、ここにメモしておきます。
 
  
  
  
 東京に着いた三四郎は、東京の<大変な動き方>すなわち"速度”に圧倒され、「東京=新しい世界/郷里=古い世界」という構図を思い描く。
「東京/地方」の差異は「西洋/日本」の差異であり、後進国日本は時間的に遅れを取っているが、単なる時間の遅れならば取り戻せる。
 蒸汽車や電信機などの文明開化の技術は時間の短縮に関与する技術であり、それらは可視的な形で時間を縮めることができる。
 以下、少し長くなるが引用させて頂きます。
  
「そして、文明開化の利便の機械が植え付けた「時間」の感覚、「速度」への信仰は、やがてより体系的な理論で補強されることになる。それが、進化論を核心にすえたダーウィニズムであり、資本主義経済である。

 本来時間とは不可視の存在である。だが、それゆえに容易に内面化されるのである。分かりやすく言うなら、明治期を通じて個々の日本人が獲得したのは、まったく新しい体内時計だったと言えるだろう。たとえば、上京の瞬間に東京の速度に圧倒された三四郎は、大学で週四十時間の講義に律儀に出席するようになる。それは自主的に、そして強迫的になされるのである。

 それゆえ「三四郎」とは、時差を扱った作品なのだと考えてもよいだろう。三四郎は、常に何かから遅れている。あるいは、もはや手遅れになってしまっているのである。

 授業に真面目に出席すればするほど、悩みを深めてゆく三四郎。彼の話を聞いた友人の佐々木与次郎は、週四十時間に仰天する。そして、与次郎は次のように言い放つ。
<電車に乗るがいい>。

 与次郎は<電車に乗って、東京を十五六返>ぐるぐる乗り回すことを三四郎に勧める。鉄道が移動の手段となる時、あるいは旅の目的地が決まっている時、鉄道は、時間の便益を最大限にもたらすであろう。だが、目的地も持たず、意味もなく鉄道に乗り込むことによって、鉄道の時間は無効化される。東京の速さを過度に意識し、そのことで神経を病みはじめた三四郎に対し、与次郎が与えた忠告は、電車に乗ることで逆説的に時間から開放されるという、一種のショック療法であった。ただ無意味に電車に乗ること。ぐるぐる回り続けること。もちろん漱石は、それぐらいの行為で、三四郎の「遅れ」を解消しようとはしないのであるが。

 鉄道が、時間を飛躍的に短縮したとは、誰しも語ることである。だが、鉄道がもたらしたものは、近代的な「時間」という概念そのものだった。「時刻表」は、その象徴である。」
 

……と、以下、時刻表から標準時、暦の話題となり、学制の話へと発展していきますが、ここでは上に引用させて頂いた部分について考えてみます。
 
 上に引用させて頂いた部分は、非常に重要な指摘ではないかと思います。
 
「三四郎」とは、時差を扱った作品なのだと考えてもよいだろう。
 
 専門家による文学論とは、このようなものなのかと驚かされます。
 私のように、単に思ったことをつらつらと書くのではなく、裏側に隠された意味を明らかにしています。

「時差を扱った作品」

なんていう発想など、私には思いもよらないものでした。文学解釈はこんな風にしていくのか、という驚きです。
 そしてそれに続く指摘で、ダメを押されたような気分にさせられます。
 
「三四郎は、常に何かから遅れている。あるいは、もはや手遅れになってしまっているのである。」
  
 私は『三四郎』を読むと、恥ずかしくていたたまれなくなるような気分になります。なぜか自分のことが書かれているような気がしてなりません。
 野々宮さんや広田先生も気になります。しかし特に気になるのはやはり主人公である小川三四郎なのです。
 私がなぜこれほどまでに『三四郎』が気になるのか、色々な要素があるとおもわれますが、武田氏が上で指摘されたことは、私が今まで思いもしなかった無意識の領域にある感情を明確化したものと思われます。
 
 確かに、私は普段から
「何かから遅れている。あるいは、もはや手遅れになってしまっているのである。」
 
という劣等感・被害感情というものを抱いています。
『三四郎』に上のような隠された意味があるとしたら、常々遅れた、或いは手遅れになったという感情にさいなまされている私が反応するのも必然的なものかもしれません。非常に面白い指摘です。
 武田さんの『三四郎』論をもっと読んでみたい気がします。
 
 さて、それに続く与次郎のアドバイスなどについて思うところは、メルマガで該当部分に至った時に書くことにします。


f(^_^)♪
 私はかくの如く読みました。
 皆様はどう思われますか。
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